質問と回答

以下の質問はナディヌ・ルテフ、サンディ・ドウバヌイのお二人が寄せて下さったものです。

1)   最も影響を受けた画家は?​​​


まずサルバドール・ダリです。彼の作品は子供の頃から知っていました。続いて、さまざまな芸術運動(印象派、シュールレアリスム、ポップ)に触れ、徐々に私は象徴主義(モロー、ルドン)および抽象的な表現主義に目覚めていきました。

とはいえ、《コミック・ブック》(とりわけKirby, Ditko, Starlinなどの作品)のイメージ、コマーシャル・アート、知らず知らずのうちに私のうちに浸透し刻みこまれた広告の数々、そして当然のことながら、レコードジャケットのグラフィック・アート(特にサイケデリックでパンクな年代のもの)を無視することはできません。また、約15年間グラフィストとして働いた経験で、構成とバランスまたはアンバランスの感覚が磨かれたことを挙げておきます。

2)   最も影響を受けた絵画は?

a) 19歳のとき訪れたニューヨーク近代美術館では見るもの見るものを堪能しました。2時間ほど注意深く鑑賞したあとで、ベンチの一つに座って寛ぎながら、真向かいにある大きな油絵をなんとなく見始めました。そのうちに、ごく静かに私はその絵に吸い込まれ、満たされていきました。その絵を少なくとも1時間は至福の状態で見つめていたに違いありません。それはパブロ・ピカソのLes Demoiselles d’Avignon(アヴィニョンの娘たち)で、それ自体小さな革命ともいえるものです。

b) ダリのL’adequamento del desiderio(願望の宿)。これは彼が実際狂気に陥っていた「ドル亡者」時代に先立って制作されたものです。1929年発表のこの小品は、反物質の萌芽を内蔵し、見る人を当惑させる潜在的パワーは今日まで全く損なわれていないと私には思えます。

c)   最近になってアメリカの画家F. スコット・ヘスのThe Hours of the Day(一日の時間)のシリーズをネット上で見ることができました。それはカラヴァッジオ式の24枚の作品です。6年間にわたって制作されたこの素晴らしいシリーズは下記のサイトに載っています:
http://www.openmuseum.org/collection/show/104

3)   使用するテクニックは?​

長い間私は2種類を使い分け、キャンバス制作には油絵具、イラスト制作には鉛筆、パステルまたアクリル絵具を使用していました。60年代にテーマを求めた作品のシリーズを制作しているときに、コンセプトの関係であらゆる種類の媒体(鉛筆によるデッサン、パステル、CGを利用したもののコラージュなど)を混ぜ合わせる必要に迫られましたが、これはごく最近のことです。

1963​​

このシリーズでは多種類の紙をキャンバスへ貼り付けるという手法を用いました。最終的に作品に質感を与えるためにはさまざまな色の薄紙を、モチーフ(画像編集ソフトのPhotoshop またはIllustratorなどで加工したもの)の導入にあたっては手漉きの紙または厚紙、とりわけterraskin 紙を利用しました。この紙は反ることがなく、鉱物をベースとしていることから、鉛筆、ボールペン、さらにはパステル用に打ってつけの媒体です。なお、パステルや鉛筆で描く度に、経済的な理由からヘアスプレーを使用しています。

これらすべての構成要素を固定することができる糊は、アクリル用に考案された光沢のあるニス(黄色く変色しない)です。そして、すべてを整然と正確に結びつけることを可能にする手段はアクリル絵具です。

私はアクリルで描くときは水と溶剤を大量に使います。全体の構図を詳細なところまで決めていない時は、よく色そのものに遊ばせてみるようにします(ある程度までなのは言うまでもありませんが…)。実際、この方法でいくつかの《風景画》を制作しました

この方法は無駄がなくシンプル、しかも大変経済的です。特にサイズの大きなキャンバスを使用するときは便利です。またアクリルで描くときはへらとよくジェルを使いますが、これで絵に立体感および透明感を出すことができます。例(1964, Bande dessinée abstraite 抽象漫画) :

最後に、色を調整するために、アクリルの塗りが乾いてから(塗りが薄い場合、約24時間は乾かした方が良いとされる)、油絵用の絵具を使います。

このテクニックで絵に《グラフィティの壁》効果(1966)、またはより《クラシック》な効果(例えば1969)が出せます。

4)   インスピレーションはどこから:現実、夢、イマジネーション?​

インスピレーションを早く得ようとするブレーンストーミングにはあらゆるテクニックがありますが、私はそのどれも使いません。インスピレーションは時には全く思いもかけないやり方で自然に湧いてきます。

例えば作品1966では、どのような人物が私の「毛沢東‐邪神クトゥルフ」に対峙しうるかと自問しました。いろいろと可能性を検討した結果、最終的にWimpy(ウィンピー)を選びました。なぜかと言うと、この選択はなんとも滑稽で、しかもまるでくしゃみをおさえるのが難しいように、どうしてもその誘惑に勝てなかったのです。別の面から見れば、この生彩ある人物の挿入(従ってその飽くことなき食欲との関係)は同時に、イメージの消費主義、革命につきものの自己破壊主義、また毛沢東時代の中国で実際に進行していた破壊行為まで、すべてが大がかりな猿芝居のような感じになります。《尤も》な理由はこのようにあとからつけられました。あたかも感性が外見上のすべての抑制を越えて、おのずと集まったイメージ自身の偶発的な作用のなすがままになっていたかのようです。また別の機会には(むしろ稀であることを告白しますが)、私自身の気づかないうちに、絵の構成の始めから感性に導かれていたりすることもあります。L’échange de fruits(果実の交換)はテーマに基づく技巧的な絵で、2つの文明の間の交流が問題となっています。一方は高度な文明で下り坂にあり、他方は原始的ながら上り坂にあり、おそらくこの《対話 》中に破壊されるでしょう。すなわち、絵の右側にある半分哺乳類、半分鳥の形をした奇妙な生きものがもたらす果実は、直観的に贈り物とはみなされませんでした。この果実の交換のアイディアが浮かんだのは、あとになって《女神アテナ》の地球を描いていたときのことです。

私は未来学ないしはサイエンスフィクションに関連した歴史上またはそれに類したテーマを選ぶ傾向があります。単に好ましいからということではなく、いつも私が興味をもち、惹かれていたテーマだからなのです。

インスピレーションが湧かないとき、私は新しいシリーズを始めるか、あるいはすでにあるシリーズ(いつもいくつかのストックあり)を続けるかを決めることになります。しかし複数の絵を1つのシリーズにまとめるものは、必ずしもテーマであるとは限りません。例えばサイズのときもあります。それに、私はこのごろ小さい厚紙を利用したキャンバスボードに描くことにしています。いつこのサイズをやめることになるか今のところ分かりません。どうしてこれを選択したかというと、単純に私の小さなアトリエがだんだん手狭になったこと、また小さな作品は、120cmx120cmの大きな、必然的にもっと価格の張る作品よりも、容易に売れるということもあります。とはいえ、売らんがための譲歩はあまりしません。作品の価格の70%まで取り分とすることのある指折りの画廊で、より《収益の上がる》ように私のスタイルを是が非でも適応させようと試みるよりは、《アンダーグラウンド》の画廊環境に接していたいのです。この点に関しては私は少々ロマンティックな人間なのでしょう。ケベック州外で司書または調査員として働き、モントリオールで働こうと戻ってみれば雇用の機会は全く閉ざされていました。私を本質的なものへと立ち戻らせたのはこのような状況です。

他のクリエーター(必ずしも画家だけではなく)に接していること、アーティストのネットワークに入っていること、彼らとチームを組み共通のプロジェクト(テーマ別展覧会、パフォーマンス、インスタレーション、舞台装置)に参加することも、インスピレーションのもととなります。モントリオールの特筆すべきイニシアティブとしてV. I.P. (le Virus d’improvisation picturale 即興絵画に興じる)が挙げられます。V. I.P. の催しの際は、5人のビジュアルアーティストが1つのチームを組み、各チームがそれぞれ4枚の絵を即興で仕上げ、それらの絵は催しの最後にオークションにかけられます。テーマはその場で偶然に選ばれますから、大変刺激に満ち、どのアーティストにも《自分の殻を破る》ことを可能にし、他人が何をしようとしているかを素早く理解できるようになります。現実に、このような催しの一つに参加したあと、私の制作量は短期間のうちに増加しました。常に周囲に注意を払い、吸収していくことが肝要です。

5)   画家としての歩みについて 


テクニックに更に磨きをかけていくつもりです。生きたモデルのいるアトリエを定期的に訪れることで、充分研ぎ澄まされた鋭い観察力を維持しています。大部分は無意味な練習ですが、これらのクロッキーのいくつかは小品として仕上げることができました(例えば手早く描いたクロッキーをもとにしたDame à l’étoile 星と女、そしてLa Gargouille雨樋)。

ネオ‐ポップ‐シュールレアリスト スタイルの具象画の分野をより深めていきたいと考えています。これは、もし私の作品にレッテルを貼らねばならないとしたら、こうなるのではないかと思われますが(レトロも決して嫌いではないので)、必ずしも一つの傾向としてのローブロー・アートの意味ではありません。これは私には時にけばけばしく映ります。と言って、けばけばしいものへの顕著な嫌悪感があるからではなく、むしろ好きでもありますが、このけばけばしさが流行のクールアートの押し付けてくる様式に統合されると、ただの空騒ぎになってしまうような気がします。なぜなら、たとえばダリ風なものがディズニー風なものに統合されたら、常にディズニー風なものになってしまうからです。ある種のローブローの作品は素晴らしく、活力に満ち、人気があるにも拘らず、実にかたくなな性格を保持しています(ヴァン・ミネンなど)。しかし、様式は重く、《フラッシュ》要素(グラフィティに似せたもの、広告の一部)は、時に表面全体に策が弄されているポップもどきを見ているような印象を与えることがあります。

多分私は完全にCGを利用する方向へ進むと思います。前にも触れた通り、長い間グラフィストの仕事をしていました。詩集のカバーをビジュアルな創作で構成し、そのためよく抽象的または半抽象的なモチーフで実験していました。ですから、もし全面的にエレクトロニック・アートへ向かうとしても、違和感は全くないのです。

アメリカで複数のグループ展に参加し、昨年夏にはモントリオールの画廊Glamort(グラモール)で個展を開いています。日本人の美術愛好家の皆さんが私の作品に関心を寄せているということを知って、大変驚きました。そういえば確かに、私の作品のあるもの(例えばLe banquet des clochards 浮浪者たちの宴会、これはローリング・ストーンズのCDジャケットの内側にインスピレーションを得て、即興的に描いた作品)では、日常的なものと超自然的なものが重なり合い、村上春樹の小説に通じるところが多少あるのかもしれません。

しかし、どのような方向を選ぶかは未知数ですし、その方がかえって良いと思っています。そもそも芸術上の試みとはかくも興味の尽きない経験であり、こうした経験は私達をいつも不安定にし、それが間接的に私達が全くの愚者になるのを防いでくれます。

6)   作品のひとつについて説明してください。

作品1969(Objectif lune月を目標として)はLes Chroniques des années ’60 (60年代記)を締めくくるものでした。この年代記は実際にはコミュニケーション、記憶、そしてメッセージの(ずれた)再利用、これらすべてが大量生産との関わりの下にとらえられている、そうしたことに対する内省でした。

シリーズの最後にあたる絵であることを強調するため、約120cmx120cmのキャンバスを選びました。因みにそれに先立つ8《年》のサイズは各々約90cmx75cmです。多分重要な作品になるであろうこのキャンバスの無垢な白に向かい、少々不安を感じながらごく自然に最初の一筆をおろしました。大変鮮やかな色で(このような状況ではそれが義務であるかのように)始めたあとで、私はキャンバスを中央で2つに区切りましたが、これはあきらかに構成上の初歩的かつ大きなミスで、そのために躍動感が減少し、ゆとりがあまりなくなってしまいました。が、十字形の分割構造のアイディアそのものを不適切なものとは全く思わなかったので、それを活かそうと決意したのです。実際この作品を仕上げる最後の瞬間までこの点では悪戦苦闘しました。結果として大変面白い挑戦になりました。

この絵は下から上へと構成していきました。モデルとして選んだのはJimi Hendrix Experience (ジミ・ヘンドリックス・エクスペリエンス)です。ジミは1969年当時その栄光の頂点にあり、ウッドストック・ フェスティバルの閉会の舞台を飾っています。このシリーズの条件の1つは、対象とする年に大きな影響を与えた出来事の少なくとも1つは必ず構図にとりいれるというものでした。このトリオを基本的な元素、すなわち空気、土/植物、肉体/火に変えてあります。ジミはすべての人種、すべての民族の融和となり、それは多分彼が人類そのものの本質を喚起させるからなのでしょうが、私にはしかとは分かりません。いずれにせよ、この意義深いトリオが周囲に発散している、古代につながる要素を見出します。

もしもこれらの人物が痛みに耐えているように見えたら、それは意味のないことではありません。過去は、その劇が現在形で演じられるにせよ、または未来を反映したものとして演じられるにせよ、常に犠牲者の役を演じます。少なくともこの見方は一般的にこの年代の風潮と不可分だったと私は思っています(進歩の概念を思い出して下さい)。過去とは建築資材、廃棄物、組立て用の支柱であり、また生活環境であり、さらには絶対に乗越えるべき何か(その意味で燃やす材料としてのキリストの描写)でもあります。

それが、十字形の構図が仕分けられ、複雑化され、下から上へと構成を仔細に見ていくと、ある程度まで破壊されてしまう理由です。作品1969の中央の多色使いの垂直な線は、実はそれ自体を可能にしたものから切り離されたロケットです。月が複数あるのは、これらすべての月が実現可能になったからなのです。

© 2013 Pierre-Hugues Gélinas

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